おかあさん
先月21日、
私の母が亡くなりました。
52歳でした。
原因は脳内出血。
病院に運ばれてから、たった25時間でした。
手術で自慢の黒髪が剃られてしまった
小さなお母さんは、
箱の中で、お花に囲まれて、
焼かれて、灰になりました。
母はわがままで、うそがつけなくて、
不器用で、かわいい人でした。
決め事が苦手で、父任せだったし、
自分のスケジュール管理を私にやらせ
言われるがままに、楽しそうにする人でした。
生きるのが下手で、
心が弱くて、小さくて細いくせに、
”あんたとツヨシ(弟)は 私が守る。”と
言っていました。
今度は私が母を守りたかった。
もっと、ありがとうが言いたかった。
これからの人生の、いろいろなことを
一緒に喜びたかった。
毎日毎日、
私の結婚式を楽しみにしていました。
おかずを新居に持っていってあげるねと言い、
行き方を教えてと言われていました。
一緒に買いに行った結婚式用のスーツは
棺の中で着ることになってしまったけど。
私はここで生きているから、
これからも生きていくから、
どうか私と、弟と、お父さんが見渡せる場所に
今、いてほしいと思う。
一人ぼっちが嫌いなお母さんだったので、
黄泉の国で、
先に逝った母のおばあちゃんと
一緒にいてくれればいいなと思います。
私の母が亡くなりました。
52歳でした。
原因は脳内出血。
病院に運ばれてから、たった25時間でした。
手術で自慢の黒髪が剃られてしまった
小さなお母さんは、
箱の中で、お花に囲まれて、
焼かれて、灰になりました。
母はわがままで、うそがつけなくて、
不器用で、かわいい人でした。
決め事が苦手で、父任せだったし、
自分のスケジュール管理を私にやらせ
言われるがままに、楽しそうにする人でした。
生きるのが下手で、
心が弱くて、小さくて細いくせに、
”あんたとツヨシ(弟)は 私が守る。”と
言っていました。
今度は私が母を守りたかった。
もっと、ありがとうが言いたかった。
これからの人生の、いろいろなことを
一緒に喜びたかった。
毎日毎日、
私の結婚式を楽しみにしていました。
おかずを新居に持っていってあげるねと言い、
行き方を教えてと言われていました。
一緒に買いに行った結婚式用のスーツは
棺の中で着ることになってしまったけど。
私はここで生きているから、
これからも生きていくから、
どうか私と、弟と、お父さんが見渡せる場所に
今、いてほしいと思う。
一人ぼっちが嫌いなお母さんだったので、
黄泉の国で、
先に逝った母のおばあちゃんと
一緒にいてくれればいいなと思います。
by cabyama
| 2009-02-07 10:02
| 思ったこと